「信じる」ことが、「見る」ことである…?

普通は、「見ること」が「信じる」ことだ、と言われる。

「見れば納得する、信じる」ということだ。

しかし、探し物をしていて、目の前にあっても気づかないこともよくあることだ。

視界に入っていたとしても、見えていなかったのだ。

ものの見え方には、自分の心理やものの見方の「クセ」、あるいは、「思い込み」などが反映されてしまう。

「思い込み」は、心の奥にある自分でも気づかない「信念」や「価値観」の場合もある。

極端な場合、自分が心の奥底で「信じていることだけ」を「見ている」のかもしれない。

客観的に見ているようで、実は、自分の「信念」を裏づける材料ばかりを探して見ている…。

「客観的に見る」ということは案外難しい。

客観的とは、「素直に」ものを見ることであり、「私心を離れて」、「公平に」見ることだ。

リーダーは、自分が「心の奥で信じていること」、自分の「価値観」についても自分自身がよく知っておくべきだろう。

「自分の心をよく見る」ことで、外の世界の視野もよくなることになるだろう。
「信じる」ことが、「見る」ことである場合もあるのだから…。

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この記事を書いた人

 劇作家の井上ひさしさんの「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを楽しく」という言葉が好きです。さらに付け加えるとすれば、「そしてシンプルに」となると思います。
 松下幸之助さんの「経営とは、生きた総合芸術である」という言葉をラーニングデザインによって研究して、お届けしています。
 著書「直観でわかる経理のしくみ」(新版)、「直観でわかる人事のしくみ」(共著)いずれも東洋経済新報社刊など。
 経営ラーニングデザイナー。公益財団法人日本生産性本部認定経営コンサルタント。価値創造研究所所長。㈱ラーニングデザイン・アソシエーション会長。社内研修プログラム「ワールドフェイマスプログラム」開発責任者。

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