先日、NHKで「BS歴史館」という番組を放映していた。
「桶狭間の戦い-織田信長の決断」という内容だった。
信長は自ら二千の軍勢で、敵の四万五千の大軍に攻め込み、今川義元を討ち取った。
この戦いの勝因は、これまで「奇襲戦法」ということになっていたが、どうも違う可能性があるようだ。
背景には、この時代の軍隊のあり方、戦争の目的とも関係がある。
信長は、この点で、時代から抜きん出ていた…。
他の大名の軍隊は、「農民兵」で、農繁期には農作業をし、農閑期のみ戦に参加。
信長は、家を継げない農家の次男三男を集め、プロフェッショナルの軍団に育てた。
給料制でもあり、信長に絶対服従を誓う。
信長の軍隊は、「兵農分離」で土地との切り離されているのだ。
戦いの目的。
今川などの大名の戦いの目的は「領土の拡大」だ。
あくまで「土地」である。
一方の信長。
交通の往来の盛んな熱田と津島という湊(みなと)を父の代から押さえていた。
「楽市楽座」、「 関所の撤廃」 を政策として打ち出すなど、土地に縛られない自由な商業活動を盛んにしようとする。
これらが後に「天下布武」という旗印、ビジョンにつながる。
武力を以って天下を統一し、自由な世の中にするというビジョンだ。
信長は、 その後、それぞれの土地を守り、勢力を誇示する大名、寺社勢力、農民などを次々に攻め滅ばしていった。、
この時代の人々のつながりの基本であった「地縁・血縁・宗教縁」を断ち切っていったのだ。
「天下布武」というビジョンは、信長の死後、秀吉、家康に引き継がれて達成された。
中世から近世へ大きく歴史を動かした信長の卓越性を改めて感じた。