「やりたいことをやるのが人生さ」という自己を中心とした観点では、
「まだ足りない」
「まだ満足できない」
「もっと」
「もっと」
という際限のないストレスに追われることになる。
これに対して、
「私には、何かやるべきこと、期待されていることがある」
と考える「意味中心の生き方」では、
目は、自分の中の欲望から、自己の外に移すことができる。
自己の欲望中心の生き方だと、
不運や挫折は、「避けるべきもの」
「あってはならない」ものであり、「忌々しいもの」だ。
しかし、
意味中心の生き方をとる人は、挫折や困難な中でも柔軟だ。
「こうした事態が起きたとすると、そこから学ぶべきことは何だろう?」
「こうしたことから、私にどのような『気づき』を得るべきなのだろうか?」
「どのような意味を汲みだしたらよいのだろう?」
フランクフルの本の中で、ある囚人の話があった(記憶しているところによれば)。
その囚人は、罪を犯し、船で、別の場所へ運ばれるところだった。
ところが、その船は嵐にあい、難破してしまった。
泳ぎが達者だった囚人は、溺れる人を助けた。
その時、囚人は、自分の人生に「意義」を見つけた…。
「何か」は、突然とやってくることがある。
フランクフルは、手掛かりとなる「人生の意味」について、
3つを挙げている…。