今年のNHKドラマ「八重の桜」が好調な視聴率だ。
舞台は、会津藩。
幕末には、悲劇の舞台となってしまった藩だ。
会津藩は、幕末から遡って百年ほど前、天明年間には、思い切った藩政改革を行っていた。
その頃、会津藩では、旱魃や大凶作などで、莫大な借財ができてしまっていた。
天明7年(1787年)から藩政を改革し、殖産興業につとめた。
会津の漆器の改良、養蚕業の育成、酒造り、鯉の養殖などを重点施策とした。
漆器の品質改善のために、京都から名工を招き、蒔絵や金粉の技術を指導してもらった。
会津の漆器は、有名になり、中国などへも輸出されるまでになった。
それからの20年で、商業活動も活発となり、米の生産量も1.5倍近くになるなど、
改革の成果を得ることができた(参考「大名の日本地図」文藝春秋)。
藩としては、安定していた会津藩ではあったが、外の世界には、大きな変化が起きていた。
歴史の大波に飲み込まれていき、幕末の陰の主役となってしまう…。
江戸幕藩体制を支えたおよそ三百の藩の政治・経済・社会は、現代日本の地方分権、経済活性化、リーダーと人材育成などに示唆するものが大きい。
折にふれ、紐解いていきたい…。