「時間は、<未来>から<過去>へと流れる・・・?」 仏教

普通、時間は、<過去>から<現在>、そして<未来>へ続いていると考えている。

この<過去>→<現在>→<未来>の時間の流れは、西欧的、キリスト教的考え方と言われている。

しかし、まったく違う考え方もある。

時間は、未だ来ていない<未来>から、今ある<現在>を経て、<過去>へと過ぎ去るという。

普通と逆の流れだ。

釈迦入滅後の仏教の考え(「アビダルマ」)にある。

これは、昔話「桃太郎」で、川上から「桃」が流れてくるという感じで理解できるかもしれない。

桃をうまく拾えば、「桃太郎」が授かる。

桃を拾えない、または拾わなければ「桃太郎」は生まれない・・・。

過去の行為が、現在を、そして未来を制約してしまうと思い込んでしまう場合もある。

「過去にああいうことがあったから、私には未来がない・・・」というように。

しかし、別の考え方、「過去よりも未来が先にある」という考えは、過去の制約には捉われない生き方、未来の新しい自分に出会うという勇気を与えてくれるのかもしれない。

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この記事を書いた人

 劇作家の井上ひさしさんの「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを楽しく」という言葉が好きです。さらに付け加えるとすれば、「そしてシンプルに」となると思います。
 松下幸之助さんの「経営とは、生きた総合芸術である」という言葉をラーニングデザインによって研究して、お届けしています。
 著書「直観でわかる経理のしくみ」(新版)、「直観でわかる人事のしくみ」(共著)いずれも東洋経済新報社刊など。
 経営ラーニングデザイナー。公益財団法人日本生産性本部認定経営コンサルタント。価値創造研究所所長。㈱ラーニングデザイン・アソシエーション会長。社内研修プログラム「ワールドフェイマスプログラム」開発責任者。

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